阪出墾田之碑の現状。碑亭に収められている。香川県坂出市京町3ー5-5 菅原神社
香川県坂出市教育委員会による解説板の説明をそのままここに転載する。
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(坂出市指定有形文化財)
阪出墾田之碑
文政12年8月(1829)坂出墾田は3年余の月日と久米通賢の辛苦によって竣工した。藩主松平頼恕は大いにその功を称え、その偉大な業績を不朽とするため、旧地と墾田地の境で、墾田地の東西中央にあたる天神社境内にこの碑を建て顕彰した。
製作は江戸に於いて行われ、文は儒員岡内棣に命じ、書は当時楷・隷書日本一と称せられた加賀藩の河三亥(市河米庵)に特に依頼し、彫刻は江戸の名工広瀬群鶴の子群亀を選んで刻させたもので、文政12年12月、海路遠くここに運んだと云う。この碑の建立に藩主の熱意のほどがしのばれる。
かくのごとく該碑石は、坂出市の発展の起点として大きな意義を持ち、また江戸時代碑石の代表として貴重である。
このため、昭和32年1月、坂出市文化財保護条例によって指定されたものである。
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碑文中の年月日は、
文政十二年歳次己丑秋九月 とある。
市河米庵は、「林述斎・柴野栗山に宋の米元章・顔真卿の書を学ぶ。隷書・楷書を能 くし、巻菱湖・貫名菘翁と共に幕末の三筆の一人」などと説明されることが多い。確かに多宝塔碑の雰囲気もあるけれど、柳公権のような気もする・・・。